高校3年生③

*始めてのカウンセリング

次の日
初めてカウンセラーの先生と
会いました。
その時は緊張で
あまり話せなかったけれど
いい出会いでした。
それでもまだリストカットは
やめられず。やめる気もなく。
お母さんの対応も
全然変わりませんでした。



*うつ病の発症

文化祭準備期間くらいの頃から
だんだんおかしくなりました。
常にマイナス思考。
体が重い。眠れない。
自殺願望。
リストカットもやめられず
お母さんに強制的に
病院に連れて行かれました。
これが初めての精神科。
そこで軽いうつ病と
診断されました。

カウンセラーの先生と
そのことについて
話していくうちに
私も気付き始めていたけれど
お母さんが原因かも
という結論になりました。
リストカットをやめさせたり
私に負担ばかりかかって
それに反抗できない私も悪くて。
そうして何日か後に先生が
お母さんと話し合ってくれました。
それからはお母さんも段々と
リストカットやメンタル面で
理解を示してくれるように
なりました。
うつ病も軽かったので
治っていきました。



*離人症の再発

その頃は教育学部を
目指していて
推薦入試で一校
受かりました。
けれど実際受かると
こんなに精神力の弱い私が
教師なんて出来るのかと
不安でいっぱいに。
消えたい、消えたい、と
毎晩唱えていました。
そうして合格の2日後に
春と同じ感覚に陥りました。
2度目なのですぐに
離人症だと気付きました。
それを機にクリニックを変え
新しいクリニックで
離人症だと診察されました。
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高校3年生②

*リストカットの再開

夏休みに入ると
勉強をしたくない波が
やって来てしまい
勉強を怠けるように。
夏休み終盤では
返却された模試の結果から
リストカットを再開。



*睡眠時間1時間の計画

そうして夏休み明けに
罪悪感、焦燥感に
襲われました。
それからは高2の時のように
勉強に追われるように。
無理な勉強スケジュールを
強行していました。
ある日変な思考回路に陥り
睡眠時間1時間で
倒れるまで勉強しようと決意。
案の定そんな生活は続かず
1週間で限界が来ました。
授業の終わりに教室で
みんなのいる中で
しゃがみこんで
泣き出してしまいました。
その日に先生と友達から
計画をやめるよう言われました。



*メンタル崩壊の始まり

再び勉強から逃げ
それと同時に
リストカットも酷くなりました。
高2の時と違い
不安からよりも
落ち着くから、楽しいから
という理由で切っていました。
そうしてある日
ガーゼを交換してもらうため
保健室の先生に傷を見せました。
私は助けて欲しいと
口に出すのが苦手だから
そういう行動をしたのかも
しれません。
この時初めて
カウンセラーと話すことを
勧められたけれど断りました。



*家に帰りたくないと泣き叫ぶ

そのうちお母さんに
リストカット癖の再発が
ばれました。
なんでそんなんに
なっちゃったの?
綺麗な体に産んだのに
なんで傷つけるの?
お母さんも辛いよ。
こんなことを
泣きながら言われ
圧迫感を感じました。

次の日
いつもは学園バスで帰るけれど
最終バスの出発前になって
家に帰りたくない気持ちが
とても大きくなりました。
その時はもう
理性の欠片もなくて
保健室に駆け込んで
帰りたくない!と泣き叫びました。
保健室の先生に
話を聞いてもらったり
担任の先生が
駆けつけてくれたりで
1時間半くらい保健室に。
その日は担任の先生に
送ってもらいました。

私の学校は最終バス出発後
生徒が残っているのは禁止。
後から聞いた話だけれど
生徒が家に帰りたくないからと
学校に残ったというケースは
当たり前ですが異例で
校長、副校長、教頭が
緊急会議を開いたらしいです。

その日の保健室の先生との話で
先生たちが仲介役になって
お母さんへのお願いを
伝えてもらえることに。
私のリストカットのことで
暗くならないでほしい。
見せつけるように
目の前で胃薬を飲んだり
ため息をつかないでほしい。
とにかく明るく
振る舞ってほしい。
先生たちは約束通り
電話で母に伝えてくれました。

けれどお母さんは変わらなくて
翌々日も家に帰りたくないと
保健室に駆け込みました。
そこでまた
カウンセラーの先生を紹介されて
今度は半強制的に
予約を入れられました。

高校3年生①

*離人症の発症

春休みは勉強を再開。
春休み明けの実力テストで
いい順位を取るために。
そんなに追い込まれず
無理のない範囲でやれました。
そうして5位という結果を
キープできました。

テストも終わり
だんだん受験ムードへ。
それと同時に
卒業が近づいてくるのを
嫌でも感じるように。
私は学校が本当に大好きで
卒業を意識することは
とても苦痛でした。
毎晩寝る前に
卒業後の不安を感じては
泣いていました。
その不安から逃れるために
消えてしまいたいとも。
この頃はリストカットを
我慢していたけれどその分
気持ちのはけ口がなくて
消えたい気持ちが
溜まっていきました。

そうしてある日
自分の異変に気付きました。
生きている感じがしない。
全てを客観的に捉えてしまう。
死への恐怖心が全くない。
これが離人症の発症でした。
でもこの時は
まだ離人症という言葉を
知りませんでした。
それはとても恐ろしいこと。
ただただどうしていいか
分からなくて
私は明るい性格だから
友達に相談しても
本気にしてもらえなくて
1人で抱え込んでいました。
誰にも理解してもらえない
苦しみは絶望へと変わって
本気で死ぬことを考えるように。

このままでは限界だと感じた私は
自分でいろいろと調べました。
症状が全て当てはまる病名を
本やネットで。
そうして見つけたのが
離人症でした。

この感覚が何であるのかを知り
とても気持ちが楽になりました。
これは病気。治る。
一生続くわけじゃない。
それからは治そう!と
前向きになりました。
治すためには病院が必要。
そう考えた私はお母さんに
精神科の病院に行きたい
と伝えました。
けれど私は元気なふりが得意で
悩んでいる素振りを
見せていなかったからか
お母さんも真剣な顔だけしておいて
実際に病院に連れて行っては
くれませんでした。

ならば自分で治すしかない
と考えた私は
離人症について
調べるようになりました。
そうして
治すには離人感を意識せずに
生活することが大切
と書いてあるのを発見。
まだ初期だったこともあり
実践するとすぐ治りました。

高校2年生②

*リストカットを始める

学校に復帰してからも
勉強面での努力は怠らず
頑張り続けました。
定期テストが終わってから
ますます勉強するように。
この頃は学生生活で1番
勉強していたと思います。

この頃始めてのリストカット。
始めは友達が昔やっていたと聞き
興味本位で。
水ぶくれになるくらい、
ひどくてうっすら血が滲むくらい。
夏休み中には先生にばれ
包帯もするように。

そうして迎えた
夏休み明けの実力テスト。
それまで87位だったのが5位に。
けれど嬉しさも束の間
このことが重荷に
なり始めました。
更に勉強熱がヒートアップ。
生徒指導での先生の対応が
嬉しくて尊敬できて
私もこの学校の先生になる、
という夢が固まってきたのが
主な原因だと思います。
けれど体が心についていかない。
もっと勉強したい
→時間的に限界
→焦る
→勉強が手につかない
を繰り返す悪循環。
この頃は毎日
体が重くて憂鬱で
毎食後には必ず胃痛。
勉強に追われ過ぎていました。
うつ病の手前だったのかな、
と今では思います。

こうなるとリストカットは
だんだんひどくなり
高3ほどではないけれど
血を垂らすまでに。
勉強が思う通りにできないと
リストカットをして
焦りや不安を発散していました。
勉強が満足に出来ない自分への
戒めでもありました。

私のリストカットを知っている
家庭科の先生が
カウンセラーの先生を
紹介しようかと
提案してくれたけれど
その頃は
自分が追い込まれていると
自覚していなかったから
断わりました。

でも冬休み頃には
パワーもなくなってきて
だんだん勉強に
追われなくなり
心身ともに疲れてたから
焦ることもなくなりました。
そのまま適当に残りを過ごして
高2を終えました。

高校2年生①

*停学処分を受ける

高1の勢いのまま
高2に上がった私は
相変わらず勉強をせず
遊んでばかりいました。

そんな中の事件。
新しいクラスの友達と
SNSで知り合った男子とで
お酒を飲むことに。
そこまではまだよかったけれど
私はその様子を写真に撮って
SNSに載せました。
そうして学校にばれてしまい
そこからの私は人生のどん底。
生徒指導部から呼び出し。
先生たちの聴取。
更に親が学校に呼び出され
飲酒、喫煙、ネットの不正使用で
2週間の停学処分を受けました。

停学までの間学校では
人間関係でいろいろあって
精神的に限界でした。
授業中に泣いたり
本気で死のうと考えたり。
全て自業自得です。

停学期間中は
毎日お母さんに監視され
たまに部屋に入ってきては
「なんでこうなっちゃったの」
と泣きながら言われることも
ありました。
頭を冷やして考えると
自分でも馬鹿らしくなって。
なんで私、
こんなことになってるの?と。
それからは私の底力を発揮。
停学期間の後半は
心を入れ替えて勉強をして
みんなとの差を
取り戻すべく頑張りました。

少し取り戻せたところで
停学が終わって登校。
こんな私でも
温かく迎えてもらえました。
「おかえり」と言われて
抱き締められた時は
とても嬉しかったのを
覚えています。

高校1年生

*高校デビュー

中3まで人見知りだった私は
クラスの中でもほんわかとした
グループに入っていました。
けれど高1になってなぜか
人見知りを克服。
俗に言う高校デビュー。

それまで真面目だった私は
その反動が来たのか
勉強をしなくなりました。
SNSも始めて交友関係が広がり
初対面の人(男女問わず)とも
遊ぶように。
地元のヤンキーと会うことも。
お酒とたばこ、深夜徘徊。
親に友達の家に泊まるという
嘘をついて外泊許可をもらい
結局友達の彼氏の家に
泊まったこともありました。

この勢いのまま1年間を過ごし
勉強には全く手をつけずに
高2に上がりました。
高1の終業式では担任の先生に
このままじゃこの学校に
いられないよ、
とまで言われてしまいました。

この1年は黒歴史だけれど
私の人生の中の
いい経験でもあります。

プロフィール

ゆう

Author:ゆう


▽基本情報

看護学部2年生

▽病気のこと

双極性障害Ⅱ型
解離性障害(離人症)
境界性パーソナリティ障害

▽今までのこと

中学までは普通の女の子でした。
高1で生活が荒れ
高2で勉強をしすぎ
高3でついにメンタル崩壊。
大学生になった今では
病気と闘いつつ
1日1日を生き抜いています。
いつか病気が寛解したらば、と
願いを込めて。

▽ブログ

ぼちぼちと更新しております。
読んでくださると嬉しいです。
コメント欄は閉鎖しております。

▽SNS

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